2017-06-09 第193回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第4号
阪神・淡路大震災発災当初から、私の家は、ありがたいことに、多くの方々に水や食料を届けていただいたので、トイレやお風呂等の不便があったものの、恵まれていたと思います。 自分の家は大丈夫だと思い、甚大な被害があった神戸市長田区等にボランティア活動に行きました。道はめちゃくちゃで、車ではなかなかたどり着けない。みんな、自転車やバイク、徒歩で行っていたと思います。
阪神・淡路大震災発災当初から、私の家は、ありがたいことに、多くの方々に水や食料を届けていただいたので、トイレやお風呂等の不便があったものの、恵まれていたと思います。 自分の家は大丈夫だと思い、甚大な被害があった神戸市長田区等にボランティア活動に行きました。道はめちゃくちゃで、車ではなかなかたどり着けない。みんな、自転車やバイク、徒歩で行っていたと思います。
具体的に言いますと、今は当たり前となっておりますが、瓦れきの処理、これは公費一〇〇%でやっておりますが、阪神・淡路大震災発災のときは、当時の政府の考え方は、私有財産に公金を入れることはできない、だから、個人の住宅の瓦れきの処理はその所有者がやるべきだということでございました。